2024年がどんな年だったのか振り返ってみようと思う。 仕事もプライベートも。
仕事
まずは事業会社でのお仕事から。
はじめてのアプリ向けバックエンドアーキテクチャの設計
お勤め先でネイティブアプリを開発することになり、そのバックエンド側を用意しなければいけない仕事が降ってきた。
はじめてのネイティブアプリ開発、こんな点↓を考えながら仕事を進めないといけなかったので大変だった。
- フロントエンドを担当するチームは海外におり、稼働開始日が決まっていたので、それまでにバックエンド側の設計を終わらせないといけない
- アプリのリリース期日がキッチリと先に定められていたので、後戻りは絶対に許されない
- セキュリティレベルをしっかり担保しなければいけないのはもちろん、負荷が増えてもレイテンシが落ちることのないようなスケール性能も兼ね備えていないといけない
- ミニマムにスタートするアプリなので、バックエンドにコストはかけられない
- フロントエンド側の人員がバックエンド側の人員より多いこともあり、フロントエンド側のタスクに空きができてしまわないように早めにタスクの細分化を進める必要があった
こうして俯瞰すると、ただただ他のプロジェクトでもしっかりと考えなければいけないことではあるが、迫ってくる開発リソースに合わせてアーキテクチャをアレコレ考えて試行錯誤して、"これだ!!〇〇のアーキテクチャでXXなやり方で仕事を進めればすべてを解決できる!"とたどり着くまでは中々にスリリングだった。
なぜなら、アーキテクチャのベースとなる技術に関する知見は社内になかったし、私自身も初めて取り扱うものであったから。 そのアーキテクチャの実現可能性の検証・実証が完了したとき、とてつもない安堵感が降りてきたのを覚えている。
これはほぼほぼ上半期の話なのだが、今でも強く覚えている。きっと何十年後も覚えているだろう。
グローバルメンバーの受け入れ
後輩に海外国籍のメンバーが複数人入ってきた。
彼ら/彼女らとは採用地が同じ地域ということもあり、自分が面と向かってサポートする感じの受け入れ担当となった。
日常的に英語で話す機会が無かったため戦々恐々だったが、数ヶ月経過した今では特にコミュニケーションに問題は感じていない。(自分だけかもしれないが)
ChatGPTやGeminiなどのLLMを使えば文字の翻訳はいい感じにできるというのもあるが、日本語が不得意なメンバーとのコミュニケーションにおいて "この場面では英語を使って補足しないと伝わらないだろうなあ" という場面がそれなりにあるため、強制的に英語のトライ・アンド・エラーをさせられることとなり、ビビる暇もなく英語の海に飲まれていった・・・。
彼ら/彼女らの日本語の頑張りのおかげに助けられている側面も大きいだろうが、お互い歩み寄ればなんとかなるもんだ。
そこでは割とDuolingoで覚えたフレーズが役に立っていたりする。侮れんな。
プライベート
旅行
割と旅行にいった年だった!
【1月】大分・鉄輪温泉に行った。きれいで良いところだったよ
別府・鉄輪温泉の朝。いい景色だ pic.twitter.com/BfuQKfsukj
— たにしお (@shoutatani) 2024年1月7日
【9月】初めてのハワイ、初めてのオアフ島。大分に旅行したのがきっかけでハワイに行くことになったのだが・・・
【12月】兵庫・湯村温泉に温泉旅行・カニ旅行へ。最高の温泉だった。
来年はどこに旅行に行くだろうか。
プログラミング
AWS Lambdaで動くチャットボットを作った。サーバレスで中身がわかっているチャットボット、自分に必要だった。
買い物
2月 ロボット掃除機を買う 3月 フルサイズミラーレス一眼を買う 10月 85mmのレンズを買う 11月 ホームベーカリーを買う
ミラーレス一眼のα7CⅡとSEL85F18のレンズに出会えたのは大きい年だったなあ。
上記の買い物のすべてはここにおいてきた↓
マイホーム
家のことをめっちゃ考えた年だった。いろんなハウスメーカーを回ったし、多くの住宅営業さんにも会った。
それを経て、建築基準法だったり家の設備だったり土地の良し悪しだったり耐震性だったり・・・とくかくあらゆる方面の知識をつけることはできたのだが、とにかく"ここだ"という土地が見つからない。
でもなんだか、来年には見つかる気がしている。そんな気がする。
来年のベストバイは土地と建物になるといいなあ。
おわりに
今年も激動の一年だった。
来年はアプリエンジニアとしての職責が課せられる見込みだし、より一層仕事に励む必要がある。
一方で、体力がないとやっていられないことも日々痛感しているので、体力づくりも頑張りたい。
来年も皆様どうぞよろしくお願いいたします。